20160331
もうタイトルの日付だけで、なぜ書いているのかが分かる。
明日から、社会人になる。その不安と緊張と、ほんの少しの期待が混ざった中、キーボードを叩いている。
本当に長かった。浪人期間や試験についての色々は、もうさんざん書いたので、これ以上は振り返らない。
ただ、本当に、本当に不安感が強い。そもそも、俺はすごく要領が悪い。人並み以上に、悪い。だから、ついていけるか不安だ。
職種のことを少し知っている人に、話を聞くことがある。みな一様に、「まったりしている」と言う。それを聞いても、安心できない。
あと、ホームシックの話。
ホームシックがひどい。21日に、いよいよ自活を始めたわけだけど、27日に一旦実家に帰ることが決まっていた(色々手続きがあったから)。ということは、実質的に継続して一人暮らしをしたのは、一週間ほどということになる。それでも、地元が恋しくてたまらなかった。
両親・友人をはじめとする人への愛着と、場所への愛着。その両方が迫ってきた。地元の景色とか、雰囲気とかを強く意識した。同時に、いまの住居の周辺についても、相対的に、考える機会が増えた。
地元は紛れも無く田舎で、地方都市ですらない完全な地方なんだけど、郊外型のチェーン店が多いことと、子どもが多いことで、非常に活力のある街だと思う。だから、あまり「田舎!」というような感じはしない。
いまいる場所の方が、行政区分で言えば明らかに都会のはずではある。でも、いまの場所は年齢層が高く、個人の商店が多い。だから非常に田舎の感じを受けてしまうのだと思う。コンテンツ化されていない、本物の「下町」なんだと思う。
郷愁とかノスタルジーで言えば、いまの場所の方がそれを惹起させやすい環境だと思う。人情のまち、という感じだから。だからこそ、そのノスタルジーの当事者に、自分はなれないということ、ここにノスタルジーを感じるための経歴が、自分には存在しないということが、少しだけ切ない。
早くここに慣れてしまって、いつかこの場所に「戻ってくる」ほど時間が経ったときに、きちんとここに懐かしさを感じるような生活をしていきたい。なんて悩んでること自体が、時間の経過と共に笑い話になるであろことも、経験から知ってるわけだけど。
今日は早めに寝なければならない。配属が気になるところだ。
20160321
無事、引っ越しが終わった。一息ついたので更新をする。
家財の運び込みや、配送業者のミス等々、引越し当日は中々にバタついた。
両親がこっち(もうこの呼称になった!)に手伝いに来てくれたのでかなり助かった。というより、一人で完璧に出来たか非常に怪しい。
親が実家の方に帰って行き、それを見送る際、父親が見たこともないような神妙な顔をしていたのが、月並みなシチュエーションではあるけど、衝撃だった。母に至ってはすぐに電話をしてきた。相当元気をなくしているらしい。
一人息子なので、やはり一段落ついたことの大きな変化というものが、強く迫ってくるのだと思う。かくいう自分だって、あやうく涙ぐむところだった。
祖母が電話をしてきて、母(つまり娘)が元気をなくしていることを笑っていた。こういう時は、「すべて経験済みである先達が笑っている」という事実が、気を楽にするために効果的なのだということを学んだ。
部屋の配置が非常にうまくいっているので、気分が良い。なんとか自炊をして、洗濯を済ませると、もうすることが無くなってしまう。意図的に音を出さなければ本当に静かなので、日がなテレビをつけている。明日は役所や免許証関係の手続きがあるので、しっかり動かなければならない。
メモ:塩で下味をつけた鶏むね肉、しめじ、ピーマン、玉ねぎを炒める。トマト缶を丸々1個とコンソメ粉を入れ、しばらく煮込む。最後に胡椒で味を調える。砂糖は使わない方がいい。
メモ2:キャベツ、サニーレタス、にら、小松菜、しめじ、玉ねぎあたりは切らさない方がいい。
この中の野菜を適当に鍋に入れて、豚こまと炒める。にんにくチューブと中華の素を入れ、醤油で軽く味付け。これでいける。
20160319
備忘録としての意図が半分ほどで始めたブログだけど、今日はこの先ずっと忘れられない日になるだろうから、更新をする。
今日をもって、ふじみ野を離れ、東京に転居をする。
親が転勤族だったこともあって、小さい頃は何度か引っ越しをした。三度目の引っ越しで落ち着いたのがふじみ野。8歳のときだ。そこから16年間を過ごした。成長期・思春期が丸々ふじみ野の期間と被ってるわけで、もう故郷みたいなものだった。
なんてことない公立中、地元ではそこそこの評価な私立高から、東京の有名大学へ。常に「帰ってくる」という意識は強かった。大学生活の初期では、楽しさに引きずられて、「家は寝に帰るだけの場所」みたいな考えになったこともあったけど。
浪人をしたことによって、親にどれだけ心配をかけたか、とか、親がどれだけ庇護してくれてたか、ということが身にしみた。それが身にしみた一年間の空白を過ごしたからこそ、独り立ちすることに非常な感傷を覚える。親の今後とか、心配や寂しさのあらゆる感情が、浪人期間のおかげで倍加されている気がする。
でも、「実家暮らし30歳男」みたいな状況になるのは間違いなく何かが違う気がするし、訪れるべき変化が訪れただけだと考えるのがまあ、妥当なところだろう。そもそも、職場から実家まで一時間ちょいで帰れるし、月イチくらいの頻度でふらっと戻るつもりでもいる。遠方の地方から上京するようなことに比べれば、なんでもないことだ。
近況の話。禁煙でおかしくなってた自立神経系は完全に治ったみたいだ。いまはすこぶる体調が良い。変な不安に襲われることもなくなったし、何より身体が軽い。
持病の方の値も改善傾向にある。面倒な療法に手を出さなくても、コントロールできそうだ。これからも頑張っていきたい。働き始めて、色々と不精になったときが怖いので、そういうときは今日のこの記事を読み返すことにする。
明日は早い。だからそろそろ寝る。このベッドも最後だし、この夜も最後だ。おやすみ。
20160213
12月の前半に電気ブランを飲んだことを書いたけど、書いた通りに祖母は俺の家に遊びに来て、書いた通りに電気ブランを二人で飲んだ。旅行をして、年を越した。
12月の末に、自分史上最高な体調の崩し方をした。過剰な喫煙と、カフェインの摂取が原因だったみたいだ。
本当に、死ぬかと思った。身動きが一切とれず、動悸と血圧の上昇がひどかった。自律神経が完全にイッていた。ずっとずっと眠れなくて、おかしくなりそうだった。
その一晩で、四年分!の生活習慣を深く反省した。不規則な生活、深夜に起き、昼まで寝る。酒と煙草とコーヒーは好きなだけやりまくる。運動はしない……。これで今までなんともなかったことが奇跡だったのかもしれない。
折しもその半月後、1月の半ばに健康診断を受診。見事に引っかかる。肝臓と、(家系も関係した)とある持病。
流石に、生活習慣の改善を決意し、今は禁煙中。酒も減らし、コーヒーは2日に1杯ほど。きちんと朝に起き、夜に寝る。それを続けていたら、少しずつ体調が改善されてきた。
で、つい先日。機会喫煙者とはよく言ったもので、煙草をがっつり吸ってしまった。ひと月と少し禁煙したんだから身体は大丈夫だと思っていた。
そしたら、吸った次の日にまた身動きがとれなくなる。動悸と発汗がひどかった。
どうも、煙草そのものよりも、「煙草を吸ったら、あの時みたいにまた体調が悪くなるのでは」という不安がトリガーになっているみたいだ。軽いパニック障害なのかもしれない。
そうすると、直接的な効果を期待して不摂生をやめるというよりかは、「不摂生してないから身体も大丈夫」と思い込むために不摂生を控えるべきだということになる。どちらにせよ、4年分のツケというか、身体が「もう限界だからやめろよ」と訴えかけてきているんだろうな、と思う。年貢の納め時だ。
もちろん、カフェインとニコチンの離脱症状もあるんだと思う。抜くのに時間がかかりそうだ。
身体の嫌な話はこれくらいにして、新生活の話。
3月の中頃に引っ越すことが決まりつつある。人生初の一人暮らしを前に、まだ自宅の自室にいるのに、既にホームシックになりつつある。
一人は身軽! とか、口うるさい人間がいない! なんて考えたのは大学の初期だけで。離れるとなると寂しい。世間並み以上にきちんと育ててもらっているわけで、その感情は強い。
とりあえず、明日は不動産屋に行く。そこで物件が完全に決まってしまうかもしれない。一人暮らし開始直後はたぶん、すごく寂しい気分になっているだろうから、友人を家に呼びたいと思っている。もちろんその先も。
CDをたくさん借りた。いま聴いているのは、amazarashiの「ひろ」。愚直過ぎてダサくなるギリギリのラインで、それが真に迫ってくるのが素晴らしいと思う。
電気
めっきり寒くなってしまった。
季節が変わったときはいつも、「数年前のこの時期は何をしてて、何を考えていたっけか」と振り返ることにしている。10年くらいの頭のデータベースの中から、11月後半~12月にかけてのことを検索してみて、思い出したのは高校2年の冬だった。
その頃は特に目標もなくて、成績も中の中で、部活を頑張っていたわけでもなかったので、登校は作業の一貫のような位置づけだった。友人も多くはなかった。
だから、孤独な自分に酔っ払ってばかりでいて、酔っ払い方がうまくなるばかりの冬だった。寒さが相まって、自転車通学の40分間は地味に堪えるものだったけども、自分に酔うには丁度な時間でもあった。一人でシャワーを浴びてるときと似た感じに。
イヤホンをつけた状態で自転車を運転していて(今なら厳罰モノだ)、確か椿屋四重奏をよく聴いていたはずだ。湿っぽい歌謡ロックが自分の心の状態と気候にぴったし来た。夕方に寄り道をして近所のショッピングモールに行ったり、そこで地元の高校生・中学生とすれ違ったりするときも、あのちょっとこもった声を聴いていた。
ともかく、その頃は人とのコミュニケーションが少なかったせいで、コンテンツに対する入り込み方が尋常ではなかった。「現実逃避」って言葉があるけど、逃避のためには逃避先が、当然に必要であって、まさしく逃避先の一種の世界として、コンテンツやフィクションを捉えていた気がする。
最近また、「何をしてる人なの?」と聞かれる機会が増えた。これは単に職業や所属を指すのではなくて、「どういうことに興味関心があって、それをライフワークにしていて、自分自身のテーマをいかに定めているの?」ということを問われているみたい。
人文学系の学部にいると兎角この質問が多くて、在学中は何度も辟易とした。つまり、「自分は○○な人です」と説明できることが求められていて、それから外れると「つまらない人」だと思われてしまう。面と向かって「君は”見るべきところ”のない人だね」と言われてしまったこともある。俺は文学作品ではないし、研究対象でもないぞ、と思った。
文化人であることを求められる環境においては、何かを思案し、問題意識を持っていることや、それがアカデミズムの土台で議論できることが価値であるらしい。なんとなくそこそこ勉強でできただけでそこそこの大学に来てしまって、その後、平凡で安定した飯の種を得るべく動いていた自分には、そんな人生を懸けるような大それたことを求められては困る。
だからそういう文化人のお歴々が就職活動における「個性偏重」を叩いているのを見ると、まあ面妖な気分になる。人の価値を勝手に判断してるのはお互い様で、むしろ数字と順位ではっきりと優劣つけられる方が潔いとさえ。
ともあれ、大学を卒業したいま、そういう(勝手に感じてしまった)圧力からは解放をされている。好きに本を読んで、好きに煙草を吸って、好きにお酒を飲む。来るべき時期に来たらみんなと同じようにライフプランを組み、同じように働き、同じように悩んで、平凡なところに落ち着く。小市民になる。いい事だと思う。
そういえば最近電気ブランを飲んだ。ちょっと信じられないくらいに酔いが早く回ることに驚いた。祖母が今月末にこっちの家に来るので、ボトルの残りはそれまでとっておきたいと思う。
20151021
高野悦子『二十歳の原点』を読んだ。「共感!」みたいなことはできなかった。できても困ると思うけど。
最初の方は哲学哲学安保自己未熟社会……って感じだったけど、後の方になるに従って露骨に病んでくるのが印象的ではあった。あと、美人だとも思った。
自分の、学生運動に対する憎悪というのは、多分に嫉妬を含んでいる。恋と革命に青春を捧げたい。若さゆえのヒロイズムとロマンチシズムに酔いたい。でもそれはできないし、しない。そういったことを考えながら読んだので、どうにも入り込めなかった。
お金がないと生活が荒む。外に出る気をなくす。反対に、お金が入るとすごくアクティブになる。外に出て、人に会って、ご飯を食べて、CDをレンタルして……。
どうにもハンパな時期というか、まだ親の庇護下にありながら、さしてやることもなく、来るべき半年後に向けて充電をしている日々。バイトをもっとやれ自分、と思う。いつも思うだけで、寝てしまう。
インドアに拍車がかかったので、普段と違う予定が入るとなにやら疲れてしまう。しかしいざ済んでみれば心地よい。活動的、とは何だろう。
GLAYをよく聴いている。GLAYを聴くことができるということは、精神的に健康であることの証明になる。
「人生の岐路に立っている時はGLAYが染みる」というのは本当だと思う。試験の前日に「pure soul」を聴いたけども、今はまた違った気持ちで聴いている。
社会に出られることは嬉しいけど、それ以上にとても怖い。人生の先輩に話を頂く必要があるかもしれない。
見知らぬ
最近はもう随分と暇になってしまったので、家で音楽を聴く時間が増えた。
中学生の時に正しく厨二病を通り越したので、アリプロが好きだ。成長してもしょっちゅう聴く。最近も聴いている。
ローゼンメイデンのOPになったようなアップテンポでいかにもアニソンなヤツだったり、アルバムにあるようなゴシックなバラードは当然なんだけど、個人的には歌謡曲チックな曲が好きだ。これはアリプロでは珍しいけども。
『Psychedelic Insanity』 というアルバムに収録されている、「欲望」という曲があって、場末文化圏に属するお姉さんが昔の色恋を語るような、そういう曲。
「見知らぬ人の眠りにでも 食われ”ちまった”かもね」なんていう言葉遣いがすごく好きだ。自分はそもそもクサい昭和歌謡が好きなので、ドンピシャって感じ。ずっと聴いている。秋だし。
秋。音楽を聴くには秋がいちばん良いと思う。頭の悪い言い方になるけど、エモいから。
去年の秋は不安から逃げるように卒論を書いていた。今年はゆったりとした気分で秋を消費できる。バイトに向かう途中、必ず通る道があって、金木犀がいい匂いを放っている。それがあるから秋は嬉しい。
頂いたお酒を飲み始めて一時間ほど。綺麗に回ってきた。予定があることが嬉しい。良い秋にしたい。